東日本大震災当時の話し

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※内容もまとまりもありません。単なる思い出話しです。
2021年にちょっとだけ上げてた物を修正加筆して再度UPしてます。

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(2021年で)10年ってことで私の備忘録ついでに当時の話しをしたいと思います。

当時杉並区っぽいところに住んでて品川っぽいところに働きに行ってました。品川って言っても実際は港区です。
オフィスは30階建てビルの30階です。
高層階だけあって相当揺れたそうです。そうです、ってのはおいらは当日休んでたから。

地震は3月11日金曜だったんですが、前日木曜の夜中に急にお腹痛くなって。
すげえ勢いで下痢になり、我慢してたんだけどとうとう吐いちゃって。寒気もすごくて。
あ、これノロウイルスにやられたな、って思いつつ朝まで吐いてました。

朝になり、会社に休む旨電話、ベッドとトイレを往復しつつ病院行った方がいいかなあ、
でもノロって全部出しちゃうのが手っ取り早い、って聞いたしなあ、そもそも病院行く間に漏らしそうだし、とか悶々としてたら地震来た。

14時46分ですね。
もう揺れが激しくて長くて。
ぐわんぐわん揺れるんだ。倒れないように慌ててベッド脇の本棚抑えたんだけどリビングでもガチャンガチャン音してて。
いつまでたっても収まらないから「長いよ!」って地震に突っ込んだ。
高い家具にはつっかえ棒してたんだけどあんだけ長く揺れると全く役に立ちませんわ、釘で固定しなきゃだめだわ。

やっと揺れが収まって即実家に電話。多分電話不通になるだろうなって急いで電話しました。
PHS使ってたのもあるけど無事通じてまずは無事、って母に伝えました。
他にも何か所かに無事です、っていうメール打って。

リビング見に行くとまあすごい。
21型のブラウン管使ってたんだけどテレビ台から落ちてぶっ倒れてた。スチールラックも倒れてた。
直す体力ないしノロのせいでベッド出た瞬間に震えがくるくらい寒気がしてたんで、見なかったことにしてベッドに戻りました。

停電にはなってなかったんだけど寝室にはテレビ無いし、リビングに行く体力がないんでベッドの中でラジオ聞いてました。
パニックになってるみたいで情報が錯綜してて、疲れちゃうんで寝ました。

2時間くらいで起きて、少し体調が落ち着いてたんでテレビつけたらまあひどい有様。
これは…て呆然と見てた。

後日会社の人に聞いたんだけど、地下に備蓄食料とかあるんだけどエレベーター止まっちゃったんで歩いて取りに行った、と。
30階から徒歩で…。
結局みんな土曜の朝に帰った、と。

帰宅難民が話題になったけど、今考えたらこれに参加できなかったのはちょっと残念なようなよかったような。
品川~杉並徒歩、は今調べたら徒歩で3時間半、結構つらいだろうけど一回くらい歩いても良かったかなあ。

月曜になっても電車動いてないし会社からは「こなくていい」てメール来てたんでひゃっほー休みだー、てことで行きませんでした。
結局その週はずっと休みでした。
土日おとなしくしてたおかげか体調は完全に戻ってたんで「環八~目白通り~環七~青梅街道で自宅」っていうよく自転車で走ってるルートを走ってみたんだけど大きく壊れてるような建物は無くて少し安心しました。でも心なしか交通量も少なかった気がします。
ガソリンスタンドの行列がすごくてねえ。そりゃそうだよなあ。

自宅に食料の備蓄はそこそこあったんだけどスーパーの在庫復帰がいつになるか怖いんでなるべく食わないようにしてました。
近所にあったなか卯にはお世話になったなあ。
スーパーは在庫無いのになか卯の食材は全然切れる様子無く。助かりました。

そういや気がついたら東電株がすげえ下がってて。
大幅な赤字になりうっぱらいました。

あー、電車乗ると民家の屋根が見えるんだけどブルーシートかかってる家が結構いっぱいありました。
向こうは瓦屋根だから弱いのかなあ。

トイレットペーパーが店頭から軒並み無くなってて。持ってたからよかったんだけど。
街中の看板とか電車内の広告なんかもどんどん無くなってて。
あればうるさいけど無ければ寂しいもんだなあ、とか思いました。

その何日かあと、3月末だったかに友達が結婚式やる、ってことで参加したんだ、確か幕張。
駅前広場が液状化のせいかすげえ歪んでて。見てるだけで酔う感じ。
あ、真っ直ぐじゃないってのは感覚おかしくなるんだな、って思いました。
人の結婚式って苦手なんだけど、暗い話題ばっかりだったし、あのタイミングでの結婚式は結構よかったなあ。

落ち着いたころ、千葉県の稲毛にあるフリークスガレージ、てラジコンサーキット行ったんだけど稲毛もすごかったなあ、電柱がみんな傾いてて。
歩道にある電柱が車道側に傾いてワンボックスの屋根をこすりそうになってて。
こんな光景滅多に見れないからこのまま観光の目玉にするべきだ、とか思ったけどさくっと直してました。もったいない。

その年の冬くらいだったか、仙台に観光に行って。
経済活性化させるためにお金を落とすのだ!ってことで。
お姉ちゃんのいるお店でお酒飲んでたんだけど、色々話ししてくれて。
曰くすんげえ揺れた、電気も水道も止まっちゃって参った、と。
風呂入れないのがほんと辛かった、と。
弟含めて近所の子供たちが怖がっちゃっててみんなふさぎ込んでるから、公園にみんな集めて物置にあった花火をやったら少し明るくなってくれてよかった、とか。
でもたまたま通りかかったお巡りさんに怒られちゃった、とか、ちゃんとオチつけてくれて。さすがプロだなあ。

それ以降しばらく毎年2回くらい仙台に 遊びに 復興の手助けに行ってました。
寄付もいいけど現地に行ってお金を落とすことの方がお互いに良い、とおもってます。

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