「北炭夕張新炭鉱」は北海道夕張市にあった炭鉱です。
1981年に大規模な事故が発生し翌年には閉山となっています。
当時は「北炭夕張炭鉱で大規模事故」というニュースが連日報道されており、物心ついたばかりの私もかなりの事件なんだな、と怖くなったことを覚えています。
当時の報道で「北炭夕張炭鉱」という単語が耳に焼き付いており、この記憶を整理するために40年越しで現場に行ってみました。
・「北炭夕張炭鉱」とは
北炭夕張炭鉱は北海道夕張市北西部、夕張川支流の志幌加別川上流に展開された北海道炭礦汽船(北炭)経営の炭鉱で、狭義の夕張炭鉱を指す。
wikiより
その炭鉱の一つが「北炭夕張新炭鉱」になります。
・「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」とは
北炭夕張新炭鉱ガス突出事故とは、1981年(昭和56年)10月16日に北海道炭礦汽船(以下「北炭」と表記)の関連会社「北炭夕張炭鉱」が経営する夕張新炭鉱(北海道夕張市。以下「北炭夕張新炭鉱」と表記)で発生したガス突出事故、およびこれに伴う坑内火災事故である。
wikiより
調べれば調べるほど重い話しなのであえてさくっとしか触れませんが、最終的にこの事故で亡くなった方は93人、北海道では最大の炭鉱事故で日本でも3番目に大きな事故だったそうです。
毎日報道されてたのも頷けます。
当時の報道がNHKのアーカイブスにありました。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030647_00000
・場所はどの辺?
慰霊碑や炭鉱入り口跡があるのが、
北海道夕張市清水沢清陵町59
の少し南側あたりになります。
当時は石炭輸送用の鉄道なんかもあったようで、駐車するスペースは結構あります。
・現場はこんな感じでした
当時の看板がそのまま残ってました。
地面に小さな石炭が結構落ちてて。輸送時に落ちたんでしょうね。
私自身石炭を見慣れてないというのもありますが、もう半世紀近くたってるのに痕跡が残ってるってのもすごい。
「テレビの中の出来事」「新聞の中の出来事」が急にリアルになった感じがしました。
当時の写真がこちらに。
https://ysnowy.exblog.jp/15947345/
・慰霊碑は「南部市民体育館」にも
「夕張市南部新光町」てところに南部市民体育館てのがありまして、その脇に入ったところにも慰霊碑があります。
住所の細かい枝番がわかりませんが452号沿いになります。
きちんと手入れされており、お供え物や花なんかもありました。